Duality

自己表現 本 考え 生き方について

子供に習い事をさせようかと悩んだら

習い事をやらせるのはいいけど、親に信念がないならやめた方がいいです。なんとなくやらせる。やらないよりはいいだろう。友達がやっている、水泳、書道、ピアノ、塾、、、

 

この記事で一番言いたいこと、それは信念をもって始めるという事です。

ママ友の繋がりやしがらみがあったりすると思いますが、何が大切なのか考えてほしい。我が子のためでしょ、少しでも習い事を通じて学んでほしい、社会性だったり、何かをやり抜く力、達成感、自分に対する自信。けど、現実はいろいろあってそりゃいじめだったりあります。辞めたいとか駄々こねたり、でもその中で親が信念をもって、子供と真剣に向き合う。その姿を子供はみてます。

「え、なに、こんな真剣なんだ」って。

子供が親の力を本当に求めているときに、時には親が恥ずかしい姿をさらしながらも自分と向き合ってくれた。この経験がある子は強くいきていくと思います。

 

僕は、小学校まで水泳をやりました。もともと喘息があったのもあり水泳を半ば強制的に始めさせられました。4歳の時です。友達もいない中、水泳教室いくのは憂鬱でした。

やりたいとか、やりたくないとか子供にとっては関係なくて、親の命令や考えが絶対です。母親が喜んでくれるからやる。やらないという選択肢は無い。

 

何事もきちっとしたいという性格もあり、先生に言われたことを忠実に守りました。小学校に入り、初めて大会にでた時市の大会で優勝しました。小学校六年間ほぼ市の大会では一位を取り続けたのですが、これが母親の教育熱を加熱させ、僕の小学校生活はまさに水泳が大半をしめる事になりました。

 

三年生からはほぼ毎日プール、中学生や高校生の一番後ろについての練習でした。練習で楽しいという感情はあまり記憶にないし、そもそも練習はつらいもの、苦しいもの、苦しさの後に達成感がある。という思考回路ができあがりました。水泳は個人競技なのではっきりとタイムという結果ででます。たしかにベストが出た時は嬉しいといえば嬉しいのですが、なんとも言えない虚しさがありました。

 

小学校も高学年になってくると、なぜ自分は毎日毎日水泳をやっているのかその意味はなんなんだとう思いが日に日に増し、親に聞きました。

「なんで水泳をやっているのか」と。

日曜以外は水泳。送り迎え、食事、自分の時間、家族の時間を削ってやっているわけです、なにか思いがあるんだろうと思いました。しかし親はたいした返事をせず簡単に流されただけでした。何気ない会話の中で「なんで水泳させるの」と聞いても、あしげに返れるだけで、しまいには「うるさい、ただ水泳がやりたくないだけだろ」という意味の分からない事を言われるだけでした。

 

その回答の姿勢に幻滅しました。もし、思いがあるなら、いやあるのだから、子供には分からなくてもせめて、理解させようという姿勢。続ける意味、大切さ、何でもいいから語って欲しかった。めんどくさかったかもしれない、たまたまその時僕の知らないところでイライラしていたのかもしれない。けど、その煩わしさからにげて欲しくなかった。指針があってほしかった。意味が分からずやり続ける事の虚しさを取り去ってほしかった。

 

あー、なんで子の叫びにこたえてくれないのかと思いました。自分をみてくれていないと思いました。ちょうどその時保健の時間で、一番初めに卵子にたどり着いた精子が結合し受精卵になる。二番目三番目は生まれないのです。あなたは一番最初に卵子にたどり着きました。これは必然!!みたいな事を担任が言っていて、へーそんなもんかいなと思いながら、もし二番目の精子が結合したとしても親は水泳させたんだろうな、いや、水泳でなくても、子供の投げかけにたいして向き合わないんだな。それはすなわち子供の事、他の一般的な子供ではなく、目の前の我が子を考えてない。例えば絵を描いている時が本当に楽しそうだから、絵を習わせようとか思わず、ただ自分の意思でやらせるんだろうなと思いました。

 

子供に習い事をさせよう。やりたいというからやらそうという時。

まず、強制は必ずしも悪い事ではないと思います。子供のやりたいを尊重する事は大切ですがどこまでやりたいのか分かっていません。なんとなくです。まずやりたいと言ったらじっくり話を聞きましょう。子供はお母さんから

「なぜそう思うの^^理由をしりたいなー」

ときかれるのを待っています。

あれこれやっても続かない、なんでも子供のやりたいという事をやらせているのに。

という声を聞きますが、たぶん子供は親の愛情を確かめています。自分の言ったことにすぐ親が反応してくれるのを密かに楽しんでいるきらいがあります。

まず、子供の話をじっくり聞きましょう。習い事をやりたい理由だけでなく、学校の事、好きな事、好きな食べもの、なんでもいいです。親の優しい笑顔が子供の生きるエネルギーです。

 

それと、子供を子供扱いしないで、堂々と語りましょう。難しい言葉は分かりやすい言葉に変換し、親の真剣な思いをぶつける。子の顔色を伺うなんて愚の骨頂です。

 

30年40年を見こした教育理念、愛を語ってください。かっこうつけずに一対一で言う。自分の子供時代の事をふまえて話してもいい、悔しかった事、嬉しかったこと、日々迷うこと、確かに子供にははっきりと伝わらないかもしれません。

しかし、100言って1つでも届けばいい。種をまいて全部芽吹かなくても、まいた以上はいくつか芽がでるように。真剣さは伝わります。真剣な状況で子供は学びます。一生懸命にやれば感動が大きいように、緊張する場面で結果を残せたときに自信ができるように、真剣な状況を親が率先して作り出すことは意義深い事だと思います。

真剣に叱ってくれる、真剣に褒めてくれる。心からの言葉を子供は待っています。子供にかっこうつける事は無い。人間として全うに生きる事、表面的に惰性に、ラフに生きる事よりも、現実と格闘しながら、生きる事の美しさを親が全身で子供に伝える。

 

子供にとってお父さん、お母さんは一人です。友達、彼氏彼女ではありません。

 

信念を持って、「よそはよそ、内は内」ではありませんが、子供と向き合う。当たり前ですが子育て、教育は信念がないとできない。日々親として、人間としての総合力が試されています。