Duality

自己表現 本 考え 生き方について

教科書通りにやるということ

自分で考える事が重要なのはいうまでもありませんが、じゃあ、一方で本当に自分の頭で考えられているのかと思ったりします。

下手の考え休むに似たりではないですが、考えているようで考えられていない。ただの自己満、自分にばかり意識が向かって周りが見えてない事が多々あると思います。

自分で考える事を放棄してはいけないけれども、それを疑う姿勢も同時にもっておきたい。

自分で考えて、一から方法を編み出すよりも先人の知恵を素直に借りて試すのって恥ずかしい事では無くて、尊敬を体現する行為だと思います。

なかなか自分の考えを持ち、それを行動に移し、継続していくのはつらいしできないものです。けど、人のやり方を拝借しそれを徹底してやってみる。自分を一回忘れて、型にはまってみる。自分流に勝手に解釈して変える事なく、忠実に忠実に行う。そこで変に自分のアレンジを加えると、意地を張ったり、その人の考えややり方を体得する事ができない。結局、何も残らずなんだこのやり方もだめだ。大したことないなと元の自分に戻ってしまう。自分のやり方でダメなら人のやり方を素直にまねる。勉強させていただく姿勢が何より大切なのに、肝心なところで無意識に我を呼んでしまう。人が変わるのは難しいと言われるのは、心の底から信じきれていないからだと思います。心の底から信じてやってみる。教科書通りにやってみる。一回方針を決めたら例外を持ち込まず徹底してやる。

 

星野リゾートの教科書

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子供に習い事をさせようかと悩んだら

習い事をやらせるのはいいけど、親に信念がないならやめた方がいいです。なんとなくやらせる。やらないよりはいいだろう。友達がやっている、水泳、書道、ピアノ、塾、、、

 

この記事で一番言いたいこと、それは信念をもって始めるという事です。

ママ友の繋がりやしがらみがあったりすると思いますが、何が大切なのか考えてほしい。我が子のためでしょ、少しでも習い事を通じて学んでほしい、社会性だったり、何かをやり抜く力、達成感、自分に対する自信。けど、現実はいろいろあってそりゃいじめだったりあります。辞めたいとか駄々こねたり、でもその中で親が信念をもって、子供と真剣に向き合う。その姿を子供はみてます。

「え、なに、こんな真剣なんだ」って。

子供が親の力を本当に求めているときに、時には親が恥ずかしい姿をさらしながらも自分と向き合ってくれた。この経験がある子は強くいきていくと思います。

 

僕は、小学校まで水泳をやりました。もともと喘息があったのもあり水泳を半ば強制的に始めさせられました。4歳の時です。友達もいない中、水泳教室いくのは憂鬱でした。

やりたいとか、やりたくないとか子供にとっては関係なくて、親の命令や考えが絶対です。母親が喜んでくれるからやる。やらないという選択肢は無い。

 

何事もきちっとしたいという性格もあり、先生に言われたことを忠実に守りました。小学校に入り、初めて大会にでた時市の大会で優勝しました。小学校六年間ほぼ市の大会では一位を取り続けたのですが、これが母親の教育熱を加熱させ、僕の小学校生活はまさに水泳が大半をしめる事になりました。

 

三年生からはほぼ毎日プール、中学生や高校生の一番後ろについての練習でした。練習で楽しいという感情はあまり記憶にないし、そもそも練習はつらいもの、苦しいもの、苦しさの後に達成感がある。という思考回路ができあがりました。水泳は個人競技なのではっきりとタイムという結果ででます。たしかにベストが出た時は嬉しいといえば嬉しいのですが、なんとも言えない虚しさがありました。

 

小学校も高学年になってくると、なぜ自分は毎日毎日水泳をやっているのかその意味はなんなんだとう思いが日に日に増し、親に聞きました。

「なんで水泳をやっているのか」と。

日曜以外は水泳。送り迎え、食事、自分の時間、家族の時間を削ってやっているわけです、なにか思いがあるんだろうと思いました。しかし親はたいした返事をせず簡単に流されただけでした。何気ない会話の中で「なんで水泳させるの」と聞いても、あしげに返れるだけで、しまいには「うるさい、ただ水泳がやりたくないだけだろ」という意味の分からない事を言われるだけでした。

 

その回答の姿勢に幻滅しました。もし、思いがあるなら、いやあるのだから、子供には分からなくてもせめて、理解させようという姿勢。続ける意味、大切さ、何でもいいから語って欲しかった。めんどくさかったかもしれない、たまたまその時僕の知らないところでイライラしていたのかもしれない。けど、その煩わしさからにげて欲しくなかった。指針があってほしかった。意味が分からずやり続ける事の虚しさを取り去ってほしかった。

 

あー、なんで子の叫びにこたえてくれないのかと思いました。自分をみてくれていないと思いました。ちょうどその時保健の時間で、一番初めに卵子にたどり着いた精子が結合し受精卵になる。二番目三番目は生まれないのです。あなたは一番最初に卵子にたどり着きました。これは必然!!みたいな事を担任が言っていて、へーそんなもんかいなと思いながら、もし二番目の精子が結合したとしても親は水泳させたんだろうな、いや、水泳でなくても、子供の投げかけにたいして向き合わないんだな。それはすなわち子供の事、他の一般的な子供ではなく、目の前の我が子を考えてない。例えば絵を描いている時が本当に楽しそうだから、絵を習わせようとか思わず、ただ自分の意思でやらせるんだろうなと思いました。

 

子供に習い事をさせよう。やりたいというからやらそうという時。

まず、強制は必ずしも悪い事ではないと思います。子供のやりたいを尊重する事は大切ですがどこまでやりたいのか分かっていません。なんとなくです。まずやりたいと言ったらじっくり話を聞きましょう。子供はお母さんから

「なぜそう思うの^^理由をしりたいなー」

ときかれるのを待っています。

あれこれやっても続かない、なんでも子供のやりたいという事をやらせているのに。

という声を聞きますが、たぶん子供は親の愛情を確かめています。自分の言ったことにすぐ親が反応してくれるのを密かに楽しんでいるきらいがあります。

まず、子供の話をじっくり聞きましょう。習い事をやりたい理由だけでなく、学校の事、好きな事、好きな食べもの、なんでもいいです。親の優しい笑顔が子供の生きるエネルギーです。

 

それと、子供を子供扱いしないで、堂々と語りましょう。難しい言葉は分かりやすい言葉に変換し、親の真剣な思いをぶつける。子の顔色を伺うなんて愚の骨頂です。

 

30年40年を見こした教育理念、愛を語ってください。かっこうつけずに一対一で言う。自分の子供時代の事をふまえて話してもいい、悔しかった事、嬉しかったこと、日々迷うこと、確かに子供にははっきりと伝わらないかもしれません。

しかし、100言って1つでも届けばいい。種をまいて全部芽吹かなくても、まいた以上はいくつか芽がでるように。真剣さは伝わります。真剣な状況で子供は学びます。一生懸命にやれば感動が大きいように、緊張する場面で結果を残せたときに自信ができるように、真剣な状況を親が率先して作り出すことは意義深い事だと思います。

真剣に叱ってくれる、真剣に褒めてくれる。心からの言葉を子供は待っています。子供にかっこうつける事は無い。人間として全うに生きる事、表面的に惰性に、ラフに生きる事よりも、現実と格闘しながら、生きる事の美しさを親が全身で子供に伝える。

 

子供にとってお父さん、お母さんは一人です。友達、彼氏彼女ではありません。

 

信念を持って、「よそはよそ、内は内」ではありませんが、子供と向き合う。当たり前ですが子育て、教育は信念がないとできない。日々親として、人間としての総合力が試されています。

夢を持つと「楽」に生きられる

「夢とか、目標とか、やりたい事を持て!」みたいなのって。

自分の日々の行動の判断基準をつくり、生きやすくするためなんだと思います。

自由を欲していながら、その自由な時間を何に使ったらいいか分からない。大学生活とかまさに自由という刑に、、なんたらみたいな期間だと思うんですが、いや人生そのものが、大人も同じようなもんだとと思いました。

 

たぶん一生迷いながら生きないといけない訳です。

大きなイベントはあるにせよ、日々の小さな事から、生きる目的みたいな漠然とした物まで幅がありすぎる。そこで、何からなにまで無意識なり意識なりが選択していて、その選択に実にエネルギーがいる。たぶん、選択するエネルギーの消耗で疲れてしまって、こんなに意味分からず疲れるなら、何か目標なり、夢があってそれに向かうことにエネルギーを費やす方が有意義なのではないか。

 

同じ生きるなら、生きる事は疲れることなら、どうせ生きるなら有意義な疲れを感じたい。筋トレや、マラソン後の爽快感のある疲れ、ああいう疲れ。体は疲れているけど、すぐに横になりたいけど、なぜかこころがすっきりしているあの疲れ。人間あの疲れが快感なんじゃないだろうか。

 

経営者がアイアンマンレースとかにはまる理由ってなんか分かる気がします。ペース配分を計算し、目まぐるしく状況がかわるスピーディーなレース展開、頭も使いながら同時に体も使う。あれが病みつきになるんでしょう。

こころと身体はつながっているというけど、まさにそうで、頭だけでもだめで、身体だけでもだめ。両方をうまく回さないとどちらかに負担がかかって、両方をつなぐシャフトみたいなのが悲鳴をあげる。

二つの車輪が同じスピードでまわっている時はいいんだけど、片方のスピードがあがるとバランスがくるって方向がぶれはじめる。時期に徐々にシャフトが歪みはじめる。少々のことでは折れないけど、なんとかバランスをとろうとして過食をしたり、アルコールにはしってしまったり、なにかしらの依存症やらになる。

嗜癖は一概に悪いことではない。自分自身がバランスを取ろうと必死に頑張っているのだ。そうするしかないほどに追い込まれつつも生きようとしている証拠だ、嗜癖を嗜癖ただそれだけの事象として扱ってはならない。

心の体も疲れ切った時、自分の人生を振り返って挑戦してこなかった。ささやかでも夢みたいな、小さな事でも挑戦してこなかった。楽に楽に惰性に流される事への罪悪感や葛藤もあった、だが一方で世間の波をうまく乗りこなしているつもりでもあった。それが、自分の人生の一つ一つ積み重ねてきた末がこの今の状況か。

あー、たらればではないが、もし夢にやぶれてこうなるなら今の自分に誇りを持てたのではないか。今の状況に納得できる生き方を、より納得できるであろう生き方をする。そのために夢を持つことは大切な気がする。夢を持つ順番が違うかもしれない。けど矛盾があるのが人間だ。二重性の中で生きていくしかない。

かっこいい、かわいいは変わる。けど美しさは変わらない、そして

かっこいい、かわいいはかわるけど、美しさは変わらない。

 

honto.jp

 

いい言葉だと思いました。実はこの言葉続きがあるんですが、

 

そして売れる

 

著者はカーデザイナーでフェラーリやそうそうたる名車を生み出し、新幹線の車体デザインもされている世界的な有名な方です。

 

外車の美しさ。欧州の物ってなんか美しいなとい思います。

例えばポルシェ911とか惚れ惚れする美しさですよね、007のアストンマーチンなど。

「美しさ」というのを非常に大切にしているのが伝わってきます。

 

そして、売れる。美しいものは売れる。

私なりに言い換えてみると、

美しは変わらない、美しい物は売れる=美しいデザインの裏側にあるコンセプトも美しい=考え方がそもそも美しい。美しい考えは不変

美しい物は手に取ることができる「物」だけでなく、考えも「モノ」。

 

ならば美しい考え方も不変であり、売れる。

つまり一見儲けにならなそうな理想論をかがげる会社、利他の精神を貫く企業が最後に報われるように。しっかり根を張って信用をつくり生き残るように。もちろん、そこには具体的で地道な努力があるが、そんな気がするのです。

「美しい」という考え方、美学を自分自身の生活に取り入れたい。その行動は美しいか?誰も見てはいない、しかし自分は見ている。つまらないことで妥協せず、自分の美学を優しく貫ける人間になりたい。

 

かっこいい、かわいいは変わるけど、美しいは変わらない。そして売れる

岡本太郎のすすめ

先日ある読書会に参加しました。参加者の一人が岡本太郎の「自分の中に毒を持て」という本を紹介されました。自分自身岡本太郎には関心があり、著書も数冊読み、青山にある記念館にも行ったことがあります。

結構メジャーな方ではありますが、意外と本を読んだ事がない方もいらっしゃいました。

岡本太郎芸術は爆発だの人、ちょっと変な人、太陽の塔の人 ってな感じの方にこの記事を書きます。

 

 

目次

岡本太郎の全体に貫かれた価値観

まず読むならこれ

読むのも面倒な方(現代人へ)

 

岡本太郎の全体に貫かれた価値観

まず、岡本太郎は強烈な価値観の持ち主です。自己啓発本には「成功」「幸せ」が大きなウエイトを占めています。しかし岡本太郎に「成功」や「幸せ」という概念は存在しません。

世間的な成功、名声、安定、家族的な幸せを断固否定します。いや、世間的な成功をめざしても虚しい、「分かってるだろ現代人そんな物を追い求めても虚しさの深みにはまっていき、生きづらさを抱えるだけだ。そんなのは人間的ではない。家族的?幸せ?ぬるい!ぬるすぎる」(だいぶ意訳してます)と言っています。

その根幹には、おそらく人生は無目的という考えが流れているからです。

何か意味があるとか、成功が保証されているとか、私たちはついつい何か見返りがあるから行動しています。仕事を我慢する、上役にニコニコする=給料のためのように。

無条件にやってみる事が大切だとしきりに述べます。例えば、やりたいことがない、しかし今の職場を辞めたい、仕事がいやだというなら今すぐに仕事をやめろ。辞めるという自分の筋を貫くのだ。と。普通ありえないですよ。辞めるにしても次に食っていける事がぼんやりと見えているならまだしも、後先考えず辞めろというのです。

 

岡本太郎は自身の生い立ちにもからめて、自分のことを「ごまかせないたち」だと言っています。

 

また、芸術の根本条件を3つあげています。

今日の芸術は、

うまくあってはいけない

きれいであってはならない

こkちよくあってはならない

 

これは逆説のいみではありません。

二点解説します。

 

1、岡本太郎の芸術とは新しさを重要視します。

人間に心に深く刻むような、また時代に反するような、時代を造っていく事が大切だと考えます。時代をつくる、つまり最先端にいるのです。最先端は、多数派=いわゆるぬるい人たちには理解できません。今までのような「わびさび」富士山が好まれる訳です。しかし太郎は、そんな多数派がここちいいだけのただ過去を踏襲しただけの、何も心を震わさない毒にも薬にもならない物に価値はない。つまらないといいます。

日本人の鑑賞態度にも言及し、画家のブランドにこだわりすぎて何もみれていないとおいっています。へんてこな絵だなーと思っても、ゴッホ作だと言われると、途端にいい絵だという。その精神が実にいやらしいらしいのです。

そして、

2、芸術は万人の物だ。芸術は生きること。人生即芸術と言っています。

どういう意味かというと、芸術は何も芸術家だけの物ではない。芸術家はうまい、きれい。しかし、芸術は表現する事だから、その表現がプロにかぎられるのはおかしい。といっているのです。話がとびますが、プロ野球の存在すらもよく思っていません。例えば自分は歌がうまくない、なら、歌が下手だとか気にせず下手なら下手なりに歌えばいい。かっこうつけずに自分の力を出し切れ、10点でいい15点でいい。かっこうつけていきるから虚しいんだ。むしろ人間は下手な方がいいんだ。といっています。うまくやろうとする精神がいやしい。とここでも無条件を説いています。

 

最初に読むならこの二冊

今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫)

今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫)

 

 

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)

 

 迷ったら下の方がいいと思います。売上的には下が圧倒的だと思います。

また名言集もあります。しかし、あまりこれはオススメしません。前後の文脈がないと本当に言いたい事の意味がつかめません。言葉だけだと正直「どんどん行動しようぜ」的な啓発本に岡本太郎の看板を背負わせただけ。なんだ、そうでもないなと思ってしまうのはもったいない。やはり原本からあたってください。

 

本を読む時間もない分業化され虚しさを抱えた現代人へ。

一時間弱の講演がYoutubeにアップされているので是非きいてみてください。内容的には紹介した上記二冊にまたがってます。


岡本太郎講演「芸術と人生」

ファッションセンスを獲得する

・満足したファッションをしたい。

・ファッションってよくわからない。

・服には最小限のお金しかかけたくない^¥^

・義務感から服を買っている、服を買うのは楽しいという感じではない。

・ファッション誌は立ち読み程度

・だいたいファッション誌のマストバイとか、トレンドの○○とか疲れた。

 

 

ファッションの悩みって男性、女性問わず多くの人が抱えていると思うんです。自分の似合う服がわからない、買う判断基準がない、なんとなく買ってしまう。この「なんとなく」って曲者ですよね。今日はファッションセンスを身に着け、曲者を対峙し「楽しむ」ことを目標にかいていきます。

 

 

目次

1.自分の好きがない

2.自分の好きを見つける

3.ファッションセンスはファッションだけにあらず

4イタリア人に学ぶ服の買い方

 

1.自分の「好き」がない

それって自分の好きなファッションスタイルがわかってない。つまり、自分の好き、これが好きだーという感情がはっきりしてないからなんです。

もうこれに尽きますよ。

日本人は自己主張が苦手だとか、他人に周囲に流されやすいとかいろいろ言われたりしますが、まず自分の感情がよく分からない。好きがちゃんと分からない。ここが問題なんです。無理に好きという感情をひねりだしたりする必要はありません。人の逆をするとか、人と違うファッションをあえてする必要もありません。大切なのは、自分が納得して着れていること。いい気分で着れることです。

好きな食べもののように、ファッションも同じです。

 

 

2.自分の好きを見つけるには「見える化

1.グーグルで「ファッション 夏」と画像検索。

2.自分が「いいな」と思った着こなし画像を片っ端から保存

3.ファッションフォルダをつくり、アルバム化

4.1~3の繰り返し

5.集まったものが自分の好きなもの

 

ビジュアルではっきりと見ることが大切です。ここで大切なのはモデルの身長や体形は全く考える必要はありません。自分に似合うかも考える必要ありません。自分がいいなと思うこと、それを集めることに集中します。まるで自分がファッション雑誌の編集長のように、オーディションの審査員のように、ひたすらお眼鏡にかなった画像だけをガンガン保存することです。大事なのは見える化です。

 

検索ワードは適宜かえてみましょう。

例えば、自分がジージャンいいなと思ったらそれで検索。すきな芸能人、映画、俳優の名前もいいと思います。ちなみに私は「007のダニエルクレイグ」が好きなので「ダニエルクレイグ 007」、「ダニエルクレイグ スーツ」等で検索したりしました。

ためらわずガシガシスクショ!!

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3.ファッションセンスはファッションだけにあらず

センスがいい人って住んでいる家も洗練されていたり、持っているものにセンスがありますよね。

ファッションだけでなくインテリアだったり、車だったり、文章だったり、色だったりなんかいいな、美しいなと思うものは積極的に写真に撮りましょう。それは雑誌のページだったり、なんとなく訪れた美術館だったりカフェだったり、もうオールジャンルです。

 

4.イタリア人に学ぶ服の買い方

イタリア人は一着のセーターを買うにしても何店舗もまわり、自分がいいなと思った物にお金を出すそうです。何店舗も回って結局買わなくても気にしない、今日は下見だったのよ的なノリらしいです。自分の納得したものしか買わないという頑固なまでの意志。見習う点だと思います。(買い方にはそりゃ個人差はあるとは思いますが、)

去年だったか「フランス人は10着しかもたない」みたいな本が売れたり、断捨離系、ミニマリスト系の本がもてはやされました。

言葉の定義や、言葉が独り歩きしていたり等はひとまずおいておくとして、世の中的にこれはいい流れだと思います。

悩みがあるなら、財布だけ持って本屋に行けばいい

 

本はもっぱらアマゾンで買うという方も多いと思います。

むちゃくちゃ便利ですもんね、クレジットカード決済にしておけば、夜ポチれば、次の日家のポストを開ければ入ってますもん。おまけにポイントも貯まるし、3%ぐらいは貯まりますよね。恐るべしアマゾン。

ただ、本屋さんで買うメリット,いいところもたくさんあります。

 

本屋で買う理由

本は出会い

 

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https://www.pakutaso.com/20120603158post-1555.html

 

本は出会い

大げさな表現かも知れませんが、本は出会いだと思います。何気なく手にした本が、後になって振り返ってみると大きかったってあると思います。

 

「人は鏡」だと言われますが、本も同じだと思うんです。だから自分の本棚を人に見せるのは恥ずかしいし、でもちょっと見てほしかったり。(笑)

本棚に何冊もある中で、自分の思い入れの深い本を手に取られると、なんか通じ合えるんじゃないかとさえ思える。

 

本屋はそんな出会いの場所だと思うんです。本屋に行けば過去の人、今を時めく人、普段接する事のない人と出会えます。いろんな人が書いてます。

 

Amazonだと、どうしてもレビューをみますよね。もちろん参考になるし、レビューをみて賢い買い物ができる点は大きいです。

 

ただ本を買う際あまりいいと思わないんです。

それは誰かと会う前に噂話を聞くようなもので、どうしても偏見を持ってしまうと思うんです。

一対一で会って、話せば大変魅力的な人なのに、噂や派閥がある事でなかなか素で接する事ができない。

これに近い事が本でも起こってしまうんじゃないかと思います。そんなのは現実世界だけでいい。本は一対一の出会いです。それがいい。現実の世界もそうじゃないですか?お互い知らないもの同士で、一対一で会ったらなんか友達になりやすかったり。「自分はいいと思う」という感情をなかなか抱けなくなっていると思うんです。

 

ぱらぱらめくる、それで自分が面白いと思った。それでいいんです。それが大事なんです。人に何を買ったかなんて見せなくていい。

出会いはその時なんです。なんとなくぱらぱらとめくって、買う。やはり中身を自分でみれる事。その時のタイミングで買える事。これが最高です。

 

もちろん、出会ったけどいまいちだった事、合わない事だってあります。だけど、自分がいいと思って買った。というのが大事なんです。自分で決めたんだというのが大事。

 

なんか漠然と悩んでいる、毎日が面白くないって思うなら、ただ財布だけ持って本屋に行って一冊買うというのがいいと思うんです。

 

もうなんでもいいんです。なんの本でもいい。これを読めば~が出来るようになるとか、元がとれるとか、できる人になるとか、それが買いたいと思えばそれを買えばいい。

 

だけど、どうせなら「なんか気になる」「柄じゃないよな」って本をおすすめします。

自分は文系だけど、IPS細胞の山中教授の本を買った。いいじゃないですか。建築の本を買った、植物の本を買った、音楽の本を買った。いいじゃないですか。もう好きなのを買えばいい。本は誰に対しても門戸をひらいていて、別に何も言ってきません。

 

ふらっと本屋に入って、一冊買う。これオススメです。